こんにちは、深海の書斎です。
深淵な宇宙の叡智サビアンシンボルを、深海の書斎が解釈して紡ぐ【深海のサビアン】シリーズ。3本目の今日は、双子座1度です。
果たしてどんな物語になるのでしょうか。楽しんでいただけたら幸いです。

「よし。今日は、ここにしよう」
そう言ってボートを漕ぐ手を止め、
ガラスから水の中を覗く
透明な境界線
そこから見えるのは
煌めく未知の世界
手を伸ばせば届きそうな場所から
じっと送る無垢な眼差し
それに応えるように
水面は静けさを贈り
水中を生きる命は
ありのままの姿を見せる
こんなにも素晴らしい世界
いろんなものを、見てみたい
心ゆくまで、知りたい
静謐な航海はどこまでも
その純真さの
赴くままに
(以上がInstagram掲載分)
海水浴や川へ遊びに行った日のことなど、初めて水にまつわる場所に遊びに行った日のことを、覚えていますか?
たとえば水族館。自分とは異なる姿形をした生物が、ガラス一枚隔てた向こう側を、自由に悠然と泳いでいく。揺らめく水の中。個性豊かな生命たち。コポコポと生まれては消えていく水泡───。
初めて見る世界は煌めていたかもしれないし、ちょっと怖かったかもしれません。
自分の住んでいる世界、知っている世界とは異なる世界を、好奇心を持って覗く双子座1度のサビアンシンボル。”ガラス底のボート”ですから、覗いているのは桶の中やお風呂のような規模ではなく、海や湖であることは想像に易いでしょう。ボートに乗った人物の興味関心の対象は広大で、またボートは自分の意思で移動させることができますから、さまざまな場所、角度から物事を観察したい、知りたいという欲求が感じられます。
ボートという乗り物に乗ることで、興味の対象とはしっかりと境界を引き距離感と安心感を保持しながらも、”ガラス底”という透明な境界を覗くその眼には好奇心が宿り、己の知性を満たさんと静かに、淡々と水面下を観察しています。
このサビアンの、”静かな”水に浮く……というところが粋だなぁと、個人的には思います。
もしもこれが、ただ「水に浮くガラス底のボート」だったら、どんな状態の水なのか限定されません。ですので極端な例を挙げると、「荒れ狂う嵐の中のボート」ということも考えられるわけです。荒れ狂う海を見て「っっしゃーーー!!この嵐、超絶燃えるぜ!!出航じゃーーー!!」と海賊王でも目指しそうな破天荒野郎を想起させる状況も含んでいるのなら、それは”どんなことも自分で身を持って体験する好奇心”も表しているといえるかもしれません。
しかしこのサビアンシンボルは、敢えて”静かな”水という限定をしています。ここがステキだなぁ粋だなぁとわたしは思うのです。
わざわざ水面が穏やかな日を選ぶ。まるで”観察しやすさ”を強調しているかのようです。もしも波が立つような天候だったなら、落ち着いて水の中を観察することは叶わないでしょう。静かに、そして定めた場所で静かに”浮いて”いられることも、このシンボルでは重要事項なのです。
このように広く物事を観察し、その好奇心と知性を満たす双子座1度ですが、その反面、”積極的に深く関わる”ことはしません。先ほどの例のように、わざわざ嵐を選んで航海に出て、その冒険を自分で体験しようとはしないんですね。でも、「嵐の中を航海するってどんな感じなんだろう?」と興味はある。そこで海賊王を訪ねて話を聴く……のではなく、「あの嵐の中を冒険!?奇跡の生還を果たし海賊王になった男!!」というタイトルのYouTube動画を、安全なリビングから眺める……わたしのなかではそんなイメージです(笑)。
そんなイメージだからといって、人と関わらない人間関係を築きたい、というわけではもちろんなく、ただ、本当の意味で深入りをすることはありません。好奇心の対象はとても広いので、もちろん人への興味も大いにありますが、「人と深く関わりたい」という欲求というよりは、「広くいろいろなことを知りたい」という情報収集のほうに重点が置かれる星です。
まだ波風が立たない静かな水面をじっと覗き、広く広く観察し、好奇心を満たしていった先に、何が待っているのでしょうか。
将来はこうなりたいとか、もっとこんなことを知りたいとか。
好奇心を満たせば満たすほど、世界を知り、また己を知っていくことができる。
その純真無垢な好奇心が満たされるとき、静かだった水面は揺れ太陽に照らされ、キラキラと輝き始める。
「知らないことばかりだった世界は、こんなにも美しかったんだ」
キラキラと美しい目をした人物が、今日もボートを漕いでいくのでしょう。
あなたの中にある純真な好奇心は今、何を見つめていますか?
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