数年前の出来事。あれは、ある勉強会でのことだった。
わたしが当時学んでいたスクールは、心理学と脳科学のことをカジュアルに学べる敷居の低いところで、その日のお題はフリーだった。誰かの悩みを聞いてみんなで意見を出し合ったり、氣になっている話題についてみんなで話したりする、とてもざっくばらんなもので、行ってみないとどんな会になるかはわからないのだが、毎回、何かしら学びがある面白い会だった。
出席されていた方の中に、初めましてか、2度目くらいに会う女性がいた。名前をA子さんとしておく。彼女は隣県に住む50代の主婦で、夫と義母の3人暮らしだった。子どもはいない。
結婚当初から義母との関係には悩んでおり、A子さんはメンタルに不調を来し、長年体調が芳しくない。ちらりと仰っていたが、子どもができないことについて相当なじられたそうで、そういった日常会話の端々からストレスが重なっていったようだった。年齢を重ね義母は病気がちになり、入退院を繰り返していて、明日、退院してくる。それがものすごく嫌で、今から憂鬱だと言っていた。
「わたしは、義母を恨んでいます」
そう言ったA子さんの目は真剣で、輝きは無いのに何かを刺すような、鋭利な冷たさがあった。
その瞬間、ふと視えたものがあった。
それは、”手の映像”だった。何かをギュッと…いや、そんな可愛い表現では足りない、掌に爪痕めり込んで血が滲んできそうなほど強く握りしめられた、小さな手だった。
「絶対にゆるさない。絶対に。ゆるしてなんかやるもんか。恨んでやる。ずっと恨んでやる!」
強い恨みと悲しみが、同時に流れ込んできた。直感的に「これはA子さんの手だ」と思った。
「でもそれ、辛いよね。氣持ちはわかるけど、義理でもお母さんなわけだもんね。で、A子さんとしてはどうしたいの?」
勉強会の進行役である講師が問う。
「義母は変わりません。どれだけやめてくださいと言っても、わたしが嫌がることをやめないんですから」
A子さんは答えた。聞くと、家にいるときはA子さんの後ろをついて回って、ペチャクチャペチャクチャと話し倒すらしかった。ただお喋りな人、という単純なものではない。それは猟奇的なもので、内容も誰かの悪口や愚痴だったりで、聞いていて楽しいものではない。A子さんがトイレに入っても、ドアの前でずっと喋り続けるらしく、常軌を逸した行為だった。
「何年も耐えてきた。でももう、耐えられない。こんなこと言ったらいけないけれど、正直、いなくなってほしいと思っています」
傍目に見ると、本当に恨んでいる様子だったろう。でも、わたしが視た握られた手からは、強い恨みと一緒に、確かに悲しみも感じられたのだ。だからA子さんに聞いた。
「本当は、そんなふうに恨みたくないんじゃないですか。だって、本当は悲しんでいますよね」
そう言ったとき、A子さんは一瞬、きょとんとした顔になった。このやりとりを見て、進行役の講師はすかさずわたしに聞いた。「深海さん、何かわかったの?」と。この講師は、わたしに時々”こういうこと”が起こることを知っていた。”こういうこと”のことをチャネリングと呼びたい人もいるし、お告げ、メッセージと呼びたい人もいる。わたしはそんなことは、どうでもいい。そこで、先述の”手の映像”を伝えた上で、
「確かにとっても恨んでいらっしゃると思います。A子さんが氣づいているかどうかはわかりませんが、本当は、「恨みたくない、こんな悲しいことしたくないのに」って、A子さんご自身が悲しんでいるようにわたしは感じました」
わたしが視た手は、「恨みたくない、こんな悲しいことしたくないのに」と、自分にも、義母にも怒っていた。そして、それ以上に悲しんでいた。そう聴こえたわけではない。流れ込んできたエネルギーをわたしが”翻訳”するとそんな感じ、ということである。
そこまで言うと、A子さんは少しの間、沈黙した。
「そうなのかもしれません」
自分で自分の氣持ちに氣づかないことは、誰にでも、よくあることだ。だから驚かない。そして、それが言語化されてきちんと認知されることは、もっと少ない。
「深海さん、それは、何とか解消できそうなことですか?」と講師が聞く。
「なんとか……わたしがどうこうすることではありませんが、サポートするにしても、わたしが勝手にA子さんに干渉することはできません。ご本人の同意がなければ、そういうことはすべきではありませんから」
講師も分かっているはずだが、敢えて聞いてきたので、敢えて答えた。誰かの学びを他者が奪ってはいけない。良かれと思ってして”あげる”ことは干渉であり、つまり余計なお世話なのだ。A子さん自身がこの学びの意味を理解し、楽になるサポートならできるかもしれないが、こちらが一方的に許可なく何か施すことは、ただの”エゴ”でしかない。わたしはそういうのは嫌いだ。
「A子さん、今の深海さんの話を聞いて、今は、どう感じていますか?何か変わった?」
「そうですね…今は…もう、これ以上恨みたくない…という感じです」
「A子さん。A子さんは、ずっと握りしめてきたものがあったんです。お義母さんから執着されているように見えて、実はA子さんもお義母さんに執着していたんです」
講師の問いに、A子さんは「あぁ…」と言葉にならない声を漏らす。
「深海さんに、その執着を手放すサポートをお願いしてみませんか?ご本人の意思が尊重されますから、A子さんがそれを望むなら、ですが」
講師が問うた。
A子さんは、「手放したいです。お願いします」とわたしを見て言った。
わたしは、あまりこういうことは大勢の前で請け負わない。”こういうこと”とは、つまり簡単にいうと”スピリチュアル”、”スピっぽい”という言葉に形容されるような行為や発言全般だ。信じない人は信じなくていい。信じられない人も信じなくていい。ただ、好意的であろうとなかろうと、いろいろと後で質問されるのが面倒だからだ。
しかし、この時は違った。請け負うしかない。なぜなら、視えてしまったからだ。視えたからといって何でもできるわけではない。たとえば除靈の必要がわかっても、わたしは靈媒師ではないから祓えない。やってはいけない領分がある。でも、この時は違ったのだ。
「では、僕たちもサポートしましょう。深海さんに応援の氣持ち(祈り)を送りましょう」
講師がそう言って目を閉じた。わたしも、その場にいる全員の存在を感じながら目を閉じた。
───再び、”手の映像”が現れる。そうしてその手を、わたしは包み込むイメージをした。
言葉はかけなかった。ただ、「もう、そんなに頑なにならなくていいんですよ。あなたはもう手放して、楽になっていいんですよ」と宥める氣持ちで、その手を包んでいた。そして、堅く握られていた指を一本ずつゆっくりと、開いていくイメージをした。そして、掌から現れた”黒い物体”を、光に還すイメージをした。そうして消えたところで、目を開けた───。
「終わりました。皆さんありがとうございました」
どれくらいの時間が経ったかはわからないが、3分もなかったのではないか。A子さんは、何が起こったのかわからないような、狐にでもつままれたような顔をしている。
まぁ、こんなもんかなぁと思っていた。その後は特に変わった様子もなく、その日の勉強会はお開きとなった───。
(つづく)
【執着の手放し方(前編)】深海の不思議な話#1

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